3. 金門島上陸作戦

人民解放軍と国府軍の戦い、昭和も戦後も関係なくない? と思われるかもしれませんが、大いに関係しています。
言うまでもなく、国共内戦と日中戦争を切り離して考えることはできません。また1949年──昭和24年に起こった金門島の「古寧頭戦役」に国府軍が圧勝したことは、その後のアジアを取り巻く国際情勢の行方に大きく影響し、日本の「戦後」を考える上でも無視できません。
また、国府軍の古寧頭戦役における勝利に駐蒙軍司令官の根本博中将(リンク先はWikipedia)が深く関わったとされています。ただしどの程度の関与があったかは不明で、信頼に値する資料を見つけることができませんでした。同じ古寧頭戦役をテーマにした『Bloody Kuningtou: Battle of Kinmen 1949』(リンク先はBoardGameGeek)のデザイナーであるWei-Cheng Cheng氏も、そのような話は聞いたことがないそうで、また同氏に紹介された第18軍司令官のお孫さんも知らないとのことでした(下写真参照)。このエピソードは政治的、あるいは特定の主張に利用しやすいだけに、また確たる資料が残っていないために、真相がわかりにくくなっています。

戦後、居留民を脱出させるために根本中将が張家口で奮戦したのは有名であり、PnPゲーム『軍旗なき兵団: 張家口脱出作戦』を公開中です。
その張家口ですが、BANZAIマガジン第26号付録『8月の嵐作戦: 日ソ戦争1945』のマップにぎりぎり入っています(入れました)。

本作はコマンドマガジン第142号(リンク先はコマンドマガジン公式サイト)の付録ゲームとして発表された『8月の嵐』オリジナル・ゲームの第2版に当たります。日本語版(8月の嵐)では北京がオミットされましたが、これは適切な判断であったと思われます。第2版では北京が復活していますが、華北地域がプレイアブルなのは日本がポツダム宣言を受諾するまでであり、ソ連軍が北京を「解放」する可能性は事実上、皆無です。しかし「歴史的興味」のためにマップに残したほうがよいと判断し、このような扱いとなっています。
金門島、張家口と遡って満洲へ。「紙のタイムマシン」に乗って、「昭和」を旅していただければと思います。

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