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未だに覚えているタクテクスのアレ(1)

中高生の頃はウォーゲームに関する情報はほぼ100%、雑誌(主にタクテクス)(リンク先はWikipedia)からであり、それこそ何度も読んだため、妙に細かなところを覚えています。

Tito and his Partisan Army』(SPI, 1980)(リンク先はBoardGameGeek)の紹介だったと思いますが、「複雑な海岸線を描くのにエリア式のマップが効果的だった」というようなことが記されていました(何分昔のことなので、記憶違いはご容赦を)。それを読んだときは、ゲームのシステムに関わるマップの方式と海岸線の複雑さは関係ないのでは、と思いましたが、つまるところ、複雑な海岸線をヘクスグリッドに収めるのが面倒だった、ということでしょう。2号連続でユーゴスラヴィアの地図を描いて、そのとおりだと痛感しました。

まずはBANZAIマガジン第27号。『最後の電撃戦: 嵐作戦』のマップ。0217/0317間や0218/0318間は海で隔てられているので、実際の地図を見ながら海岸線の形をヘクスグリッド内に収まるように描きます。

続いて第28号の付録、原題『Balkan Gamble』は上と同じ範囲とギリシア周辺が鬼門です。

こちらは0722/0822/0821/0922間は移動可能なので、島をできるだけくっつけて連続する陸地のように見せました。その代わり、通過できないヘクスサイドは0622/0623間のように太線を入れています。

ちなみに、元ゲームの地図と、縮尺を合わせた地図と、日本語版の地図を重ねるとこんな感じになります。0821/0822/0922の海岸線を抽象化することはできませんでした……。

濃い青線が元ゲームの海岸線、緑色が濃いのが地図、薄いのが日本語版の地図。できるだけ実際の海岸線に近づけようとした努力の跡を見てください。

確かに、自然な海岸線を描くならエリア式一択。あの紹介文は正しかった。

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