1797年、待遇に不満を持つイギリス海軍の水兵が暴動を起こし(スピアヘッドとノアの反乱)、第二次対仏大同盟が結成された。長らく中立を保ってきたロシアが参戦の意向を示す──ただし条件つきで。ドイツとオーストリア両方にフランスの外交官がにらみを効かせているようなら、参戦はしないというのである。
この流れを受けタレーランが再びドイツへやってくる。カースルレーが外交攻勢を挑むも失敗。しかし前年、ドイツからオーストリアへ流れてきたラインハルトをメッテルニヒが排除し、ロシアの対仏大同盟への流れを決定づけたのだった。
スイスの戦争には大盤振る舞いで8ポンドを投下。勝利を収めて皇帝退位レベルは3に上がる。ならばと、ボナパルトはエジプト遠征を決意した。イギリスに経済的な打撃を与えようという目論見であった。しかし、イギリス海軍が制海権を握っており、小戦争資金も潤沢に残っていたため(4ポンド投入)、コルシカの田舎者はここでも敗退する。鬼の居ぬ間に何とやら、ボナパルトがエジプト遠征を行っている間はヨーロッパに来ないので、このターンは確実にBUT国含む主要3カ国を支配したい。
ドイツ、オーストリア、イタリアのフランス軍戦力は順に20、6、16である。そこから諸公国軍と亡命貴族の戦力を引き、全てで+8程度になるように部隊を送り込めば安泰である。ロシア軍もいるので難しいことは何もない。対仏同盟軍は全ての戦場でフランス軍を駆逐した(圧倒的すぎて、ユニットを除去できなかったのは残念だ)。
こうして、第二次対仏同盟がヨーロッパの平和を守った。皇帝退位レベルは4に上昇する。
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