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ナポレオン戦争ソリティア: 第2ターン(1795年)

毎日更新と言いながら、早速1日飛ばしてしまいました。


1795年。

ヴァンデミエールの反乱を砲兵で鎮圧したボナパルトがジョセフィーヌを伴って颯爽と寝室に登場する(用がない時は寝室で待機するのだ)。早速、ドイツに従属国(-2)をつくる。さらにフランス革命の影響を受けたハイチで革命が進行。大金3ポンドを投じてフランスの介入を阻止した。戦争はまだ続く、ハイチの砂糖貿易から毎ターン得られる1ポンドを思えば3ポンドくらい安いものだ。

フランスは外交官をイタリアに派遣、カースルレーがこれを排除する。さらにメッテルニヒが宿敵タレーランをドイツから追い出すことに成功した。これに対しフランスは、軍事力でドイツを支配しようとする(侵攻表の結果、ドイツに2個軍団が送られた)。

フランス軍の総戦力は38。後からボナパルトが最大20戦力程度を引き連れてやってくることを考えると59戦力を保持しておきたい。敗北するとドイツは降伏するし、タレーランはいなくなってもラインハルトが残っているので、すぐに対仏同盟に参加させられないためである。諸公国軍が11戦力、イギリス軍19戦力、プロイセン軍16戦力、オーストリア軍13戦力(2戦力はオーストリア)で、ちょうど59戦力。果たせるかな、ボナパルトは13戦力を率いてドイツにやってきた!!(画像参照)もちろん計算どおり、連合軍のほうが大戦力。この若造め、目にもの見せてくれるわい。

ドイツのフランス軍は壊滅。BUT国(ドイツ)、オーストリア、イタリアを支配したことで皇帝退位レベルは+1されて2となった。

だが、ボナパルトはただ負けたわけではなかった。国境付近でドイツ系住民を徴兵して2個軍団を編成する。これを受けてプロイセンは「爾後フランス革命政府を対手とせず」と声明を発表、史実における第二次バーゼルの和約を一蹴するつもりであることをアピールしたのだった。ボナパルトは外交の矛先をオーストリアに向け、ラインハルトをドイツから移動させた。


 

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