ポーランド・ソヴィエト戦争は今から100年前、ワルシャワ前面で起きた「ヴィスワ川の奇跡」によってポーランド軍の勝利に終わった。戦争そのものは宣戦布告なく1919年に始まっており、21年3月のリガ条約をもって終了している。「奇跡」の前後にいろいろあったが(近日発売の『ワルシャワ1920』のヒストリカル・ノートを参照してほしい)、奇跡が起きなければ赤軍がポーランドを征服し、勢いに任せてドイツになだれ込んでいたかもしれない。
奇跡とは何か?──ワルシャワ目前までロシア軍に迫られながらもポーランド軍が南翼から反撃を行い、トゥハチェフスキーの西正面軍を東プロイセンへ、あるいはニェメン川まで潰走させたことである。一連の戦闘で20万からの兵力を失ったロシア軍が再び戦争の主導権を奪うことはできなかった。
どうして奇跡を起こせたのか、それを考えることから『ワルシャワ1920』のデザインはスタートした。これは次の3点にまとめることができる。
- 西正面軍の補給不足: ロシア内戦同様、「解放者」として占領地で補給と補充を手に入れられると考えた赤軍だが、独立の悲願を達成したばかりのポーランドは当然、赤軍を「侵略者」と見なした。補給不足のためにワルシャワ正面の陣地をなかなか抜くことができなかった。
- 南西正面軍との連携不足: ロシア軍はプリピャチ沼沢地を挟んで北は西正面軍が、南は南西正面軍が攻勢を行ったが、南西正面軍の前進が遅れてギャップが生じ、そこを反撃で衝かれた。南西正面軍は西正面軍より早く戦闘を開始しており、それだけ疲労が大きかったせいでもある。また命令を無視して第1騎兵軍のブジョーンヌイが再補給を行ったために前進が遅れた。
- ポーランド軍は情報戦でロシア軍に勝っており、こうしたロシア軍の事情を把握していた。さらに指揮権は実質的にピウスツキ一人に集約されていたので、大胆な用兵が可能だった。
1と2から、ロシア軍の補給不足を再現するルールは必要である。また再補給もゲームのメカニズムに追加すべきだろう。しかしプレイヤーの意志で歴史における1と2の問題が解消できるのなら奇跡は起こらない。歴史を知っている健全なプレイヤーなら、補給切れのまま無理攻めはしないし、側面ががら空きにならないよう両正面軍を足並み揃えて前進させるはずだ。
さて、トゥハチェフスキーは戦後になって「ワルシャワ攻撃の前に補給と兵士の休息のために1週間を費やすべきだった」と述べている(Adam Zamoyski, Warsaw 1920: Lenin’s Failed Conquest of Europe)。本気でそう思っていたかは怪しいが(むしろポーランド軍に休む暇を与えたくなかったのではないか)、8月の時点でミンスクにおいて両国の和平交渉が始まっており、本格交渉に入るまでにワルシャワを落としておきたかったレーニンに、12日までに占領するようにと厳命されていた。トゥハチェフスキー、即ちロシア軍プレイヤーには先を急がなければならない理由があったのである。と同時に、ブジョーンヌイができた再補給がトゥハチェフスキーにできない道理もない。そこで次のようなルールを用意した。
再補給を受ける前なら、ロシア軍はワルシャワを占領することでサドンデス勝利を得る。しかし再補給を受けるとワルシャワは他の大都市と同じ得点源にしかならず、サドンデス勝利の権利を失う。プレイヤーはトゥハチェフスキーと同じ葛藤を味わいつつ、歴史の可能性も探れるようになっているのだ。
では、用意周到なロシア軍に対してポーランド軍は「奇跡」を起こせないのだろうか? 3で述べたとおり、ポーランド軍はロシア軍に情報戦で勝利していた。反撃開始のタイミングがロシア軍プレイヤーにわかっていれば対処も可能だが、史実より早く反撃を行える可能性があったら? 実際ピウスツキは、7月の時点で反撃のために兵站の準備を始めており、協商国からの支援物資も自分のイニシアチブで反撃に回した(前掲書)。このことを鑑み、ポーランド軍プレイヤーは得点上のペナルティはあるが、史実より早く反撃を行えることとした。常にロシア軍プレイヤーを出し抜くことが可能なのだ。
100年前に起きた「ヴィスワ川の奇跡」は、1と2という状況が生じ、その状況を生かした意志の力(3)が働いた結果である。『ライズ・オブ・ブリッツクリーク』ではプレイヤー自らの力で電撃戦(あるいは後にメディアから「電撃戦」と呼んでもらえるような戦い方)を組み立ててもらったが、本作でも同様に自分の手で「奇跡」を起こす楽しみを味わってもらえると思う。
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