1805年──フリートラントの戦い

1805年──フリートラントの戦い

ゲームマーケットの準備のため、間が空いてしまってすみません。


1800年、アミアンの和約でピットが退陣を迫られ、融和派のヘンリー・アディントンがボナパルトと講和してしまう。その影響により1ターンの間、イギリス軍が行動できなくなった。ヨーロッパでの展開に期待が持てなかったが──実際、ナポレオンの戦略的奇襲でBUT国がスペインになったため、3カ国支配の条件を満たせなかった上に、戦闘そのものが起こらなかったので皇帝退位レベルが1低下した──アメリカでの戦争に勝利、海戦にも勝ち、皇帝退位レベルは6になった。

正攻法は無理でも、搦め手でボナパルトを抑え込もうというのである。いやしかしネルソン、このまま勝利したら間違いなくMVPは君だ。

1805年、ナポレオンが戴冠式を行ってヨーロッパ中がドン引きした(フランス以外の主要国の革命熱が低下する)。そりゃあそうである。フランス軍はBUT国であるオーストリアに攻め込む……と見せかけて、またしてもナポレオンが戦略的奇襲でドイツを襲う。が、こまめに外交官を排除していたおかげで、やってきたのはナポレオン直率の17戦力のみ。イギリス軍の支援を受けたプロイセン軍は計28戦力。しかも革命熱は冷めきっており、フランス軍は軽歩兵をうまく活用できない。結果は対仏同盟軍の大勝利、フランス軍の壊滅である(なお、この戦いでデュポンが戦死した)。

ナポレオン敵に非ず!! 3カ国支配の条件を満たしたので皇帝退位レベルは7に上昇した。

だが、搦め手を使うのは敵も同じだった。バルバリア海賊が現れ、イギリス艦隊が対応に追われる。フランスの陰謀でメッテルニヒが使えなくなった。そして勝利したはずのドイツだが、実はフリートラントの戦いに敗れていたのだ(歴史的事件)。

ドイツに諸公国軍ユニットがいれば回避できたイベントだが、2ターン前に全て退却させられていたのだ(大いなる伏線)。ティルジット条約が結ばれ、ロシアとプロイセンが降伏してしまったのである。ついでにワルシャワ公国も建設したのだった。

これがどういうことか。フランスがロシアに侵攻してくれるまで、プロイセンは対仏大同盟に参加しないのである。いやちょっと、というかかなりまずいことになってきましたよ。


ところで、普通にプレイしている時は気にならなかったのですが、記録を取り始めると両軍が各国に置いている戦力を表示するトラックがあると便利だということに気づきまして。

BANZAIまがじんEX第7号のコラムで「ユーザーにサマリーを作らせない」とえらそうなことを書いているんですが、ユーザーとしてサプリメントを作ってしまいました。

こちらからダウンロードしていただけますが、次号BANZAIまがじんにて印刷したものとマーカー(15mm角)を用意したいと思います。


1805年──フリートラントの戦い” への2件のフィードバック

  1. 素晴らしいアイデアと素敵なプレイヤーエイド。
    私はトラック上の数字に当時のフォントを使います。
    例えば、Didotフォントのようなものです: https://en.wikipedia.org/wiki/Didot_(書体)
    ディドネのタイプは帝国と関係がありました。
    ピリオドフォントを使ったプレイヤーエイドの方が私には没入感があります。

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