ソ・ポ戦争における装甲列車と戦車、航空機

ソ・ポ戦争における装甲列車と戦車、航空機

ポーランド軍は装甲列車の運用に力を入れており、約80編成の装甲列車を製造(装甲機関車60両、装甲貨車300両)、1918年から1920年までの間に37編成の装甲列車を鹵獲した(うち31編成がボリシェヴィキから)。どの戦線にも投入され、7月は撤退するポーランド軍の支援を行い、ワルシャワ防衛戦に投入された第1装甲列車隊はミンスク・マゾビエツキ奪回に活躍している。

「……暗くなったにもかかわらず装甲列車はレール上を走り続け、間断なく砲撃を加え、赤軍砲兵連隊は大きな損害を出した」と赤軍将校の報告にある(Polish armoured train Nr.14)。

Red Star / White Eagle』(GDW, 1979)にも装甲列車はユニット化されているし、『Red Horde 1920』(Tiny Battle Publishing, 2017)には支援マーカーとして登場する。『ワルシャワ1920』でも一度は検討したが、スケール(師団規模、1ターン=1週間)を考慮すると与える影響は小さいと判断してオミットした。

Warsaw 1920: The War for the Eastern Borderlands』(Steven J. Zaloga, Campaign Book 349, 2020)によると、1919年及び1920年に製造された装甲列車は防御力が高められており、貨車の木製外壁は二重化され、その間にコンクリートを充填していたという。余談だが、エストニアも独立戦争で装甲列車を活用しており、昨年はレプリカがエストニア国内を巡回したという(Replica armored train Wabadus reaches Ida-Viru County)。このレプリカを見る限り、ポーランドの装甲列車と異なりコンクリートによる補強は行われていないようだ。

空軍力もオミットしたが、主に偵察に用いられたからである。ルヴフをめぐる戦いでブジョーンヌイの騎兵に対して有効な地上攻撃を行ったが、これは例外。ポーランドの空軍力と言えば、後に『キングコング』の監督を務める(また劇中でコング相手に複葉機で戦う)メリアン・C・クーパーも義勇航空隊に参加した。というところまでは知っていたが、リウネ上空で撃墜され、ロシア軍の捕虜になっていたことを先日初めて知った(Black Soldiers in the Polish Military)。

前掲書によれば、「(ユゼフ)ハラー軍は、120両のルノーFT軽戦車を装備する自前の戦車連隊を保有していた。この連隊は通常、中隊または大隊に分割して配備された」とある。これもなかなかの数だが、航続距離が短く、速度も遅い、故障も多かった。ということでこれも省略。連隊単位の集中運用が行われていれば別だったが。

装甲列車と航空機、戦車がポーランド・ソヴィエト戦争を彩ったのは事実だが、主役は歩兵と戦車だった。例えば8月16日に開始されたピウスツキの反撃作戦以来、「第1歩兵連隊は攻勢開始初日に44 km前進し、わずか3時間眠っただけで2日目には37 km、7時間の戦闘と5時間の睡眠後に3日目に45 kmを記録した。126 km行軍した後の4日目には、ビャウィストクをめぐって14時間の戦闘を行っている。この連隊は13日間で450 kmを進み、12,670名の捕虜を取り、60の火砲を鹵獲した。死傷者は合わせて250名以下だった」(『ワルシャワ1920』ヒストリカル・ノートより)あるいは第1騎兵軍(コナルミア)、第3騎兵軍団(コンコルプス、ロシア軍で最も前進した部隊のひとつで、ワルシャワを背後から衝ける位置まで進出した)、それらロシア軍騎兵を撃退したポーランド軍軽騎兵の花道だったのである。

 

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